2013年2月の「別府大分毎日マラソン」をテレビ観戦しながら、自分自身の2011年~2012年シーズンを思い返していた。
そのことを、facebook のノートに載せたのだが、ここにも転載しようと思う。
以下、facebook より。
川内、中本のマッチレースを観て‥
2013年2月6日 23:23
2013年2月3日、別府大分毎日マラソンをテレビ観戦した。28kmから川内と中本が飛び出し、2人のマッチレースとなった。たびたびゆさぶりをかける川内の表情はずっと苦しそうだった。それに対し、中本はヒョウヒョウとした表情で自分のペースで走っているように見え、余裕さえ感じられた。しかし、40kmの給水で川内が仕掛けると中本は対応できずにみるみる差が広がりそのまま川内が1着でフィニッシュ‥
川内の積極さとラストの粘りと精神力に感動した。
そして、去年の別大のことも思い出していた‥
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昨シーズン、2011年11月の神戸マラソンに私は本気で臨んだ。「本気で臨んだ」とは、それまでの自己ベスト更新を目指して、それまでにないほど計画的でハードなトレーニングと食事制限を半年前から実行して大会に備えたのだ。
目標は2時間50分を切ることだった。当時の自己ベストは勝田全国マラソン(2011年1月)で初サブスリーを達成した2時間57分19秒(ネット)だった。これを記録した時もかなり節制して臨んだのだが、それ以上を目指して挑戦したのだ。そして、2時間48分55秒(グロス)を記録した。
この時の気分は正に「最高!」だった。今でも、「一生の宝物」を手にしたと思っている。
このように、昨シーズンは11月に最大の目標レースを設定したので、その後のレースのことはあまり考えていなかったのだが、せっかく2時間50分を切れるようになったのだから、国際大会も走ってみたくなってしまった。一生で一度で良いから走ってみたい!今なら大丈夫だろう!と思い、急きょ別府大分毎日マラソンへ申し込んだのだ。なんと、神戸マラソンの3日後のことだった。
別大へ向けてのトレーニングは現状維持を目的とした。ポイント練習は週2回程度25km~30kmのペース走か5km×3(設定タイムは神戸マラソンの前と同じ)、もしくはLSDを行い、それ以外はjogをした。トレーニング日誌を見ると1月12日に、右アキレス腱の痛みが強くなったと記してある。記憶によると慢性的にアキレス腱は痛かったが、走れないほどの痛みは時々感じるだけだった。ただ、別大マラソンの2週前の日曜日に、予定していたペース走をアキレス腱痛の為にメニュー変更している。その後は調整に入ったので、アキレス腱の調子をみながら無理な練習は行っていない。
そして、別府大分毎日マラソンを迎えたのだ。(2012.02.05.)
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初めてのエリート大会なので、前日の受付からその雰囲気にワクワクしていた。
当日は、アキレス腱に不調を感じながらスタートにつくことになった。そして興奮のスタート!
持ちタイム順に整列してのスタートなので、スムーズに走り出せた。市民大会では考えられないことだ。周囲は皆自分と同レベルなので、ペースもつかみやすかった。しかし案の定、走りだして10km過ぎからアキレス腱に硬さを感じ20km手前から強く痛み出した。
「何処までもつか?」という不安、そして、「腱断裂の危険」と「リタイア」が頭をかすめた。不安と痛みを感じながらも闘志を燃やし、冷静にペースを保ちフォームやコース取りを考えながら走り続けた。心の中では「勇気!」と「向上心!」の言葉を繰り返し叫んでいたが、アキレス腱の痛みは星飛雄馬が大リーグボール3号を投げ続けていた場面を思い出させていた。
憧れのエリート大会を走っている満足感!沿道の応援への感謝!ここでは情けない走りは出来ないと思った。さまざまなことを思い、感じ、考えながらレースは後半へ進んだ。当然体力的にキツクなる。「何処までもつか?」という思いで、アキレス腱と体力の両方を観察していた。そしてついに、ほぼ予定通りのペースで競技場へたどり着いた。
「何とかもったぞ!」と、トラックに入ってバックストレートでラストスパートをかけた瞬間だ!
「ブツッ!」という感じと痛みがふくらはぎに…
惰性で何歩か進んだところで、アキレス腱ではないと分かった。
「肉離れかよ!?」
必死だった。ラスト250m程右脚をかばいながら何とかゴールした。
この時、負傷の重症度は分からなかったが、例え私のマラソン人生が大きく変わる事になっても、悔いは無いと思った。この大会で2時間47分の19秒の自己ベストを記録し、完全燃焼できたことも、また一つの「一生の宝物」になった。
この大会ほど、大会の関係者、応援して頂いた皆様、一緒に出場した選手の皆様、そしてこの大会を走れたことに感謝したことは無い。有り難う御座いました。
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川内の走りをテレビで観ながら、見たことが有るコースや、こんなことも思い出していた。
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