【レースまで】
今回も大会に申し込んだ時点(11月はじめ)では自己ベスト更新を目指していたのだが、走り込むと古傷(右フクラハギ肉離れ)や左アキレス腱が痛むようになってしまった。無理すれば走れたのだが、悪化させたくはなかった。そこで仕方無く、自己ベスト更新を目指すようなトレーニングは諦めて練習量を減らして
「現状で可能な範囲での最高レベル」
を目指すことにした。大会2ヶ月ほど前の11月末のことだった。
そんな状態でもレース前1ヶ月間は、それなりにハードに追い込むことが出来た。故障を抱えながらの準備期間の頑張りについての不満は無かったが、当然ながらペース走やタイムトライアルの結果は自己ベストを出した2011~2012年のシーズンに比べると劣っていた。
そんな状態だったので、練習中のタイムや練習量から考えて、目標タイムは自己ベストよりも5分遅い
「2時間52分(4'04"/km pace)」
に設定してレースに臨んだ。
【レース】
スタート前に、いくつかのレース展開をイメージトレーニングしていた。しかし、共通していたのはなるべく4分4秒/kmのイーブンペースで走ることだった。イーブンペースと言っても、走り出しは速めになる。それを何キロ地点から目標ペースに落とすかは走り出してからの体調によるので、イメージするパターンがいくつかに増えるのだ。そして後半の落ち込みもイメージする。これも、どこから落ち込むかはその時にならなくては分からないので、いくつかのパターンをイメージしておく。そして、なるべく落ち込み方が少なくなるように中盤での走りの感覚を何度も頭の中で確認した。
他にも風対策、給水の取り方、サプリメントをどこで摂るか、気温に応じてアームウォーマや手袋をどうするかなど‥細かな点も出来るだけリアルにイメージしながらスタートラインに立っていた。
‥初めての「別大」は2012年(自己ベストを記録)だったが、その時はナンバーカード順に整列していた。しかし、2回目の昨年は横の列が合っていれば順番は構わないという整列の仕方になっていた。そして、今年もそうなっていた。あらかじめナンバーカード順に整列する位置が示されたページが載っている冊子が渡されていたが、現状はそうなっていない。そのため、自分よりも後ろにいるハズの選手が数人前にいたりする。やや不満を感じてしまうが仕方無いだろう‥
天気は良く日差しがあった。レース中の気温は7度~8度になるという予報だったが体感温度はそれほど低く無かった(日陰は寒かったが‥)。心配していた風は、強くは無いが気になる程度に吹いていた。
この大会も今回で3回目、だいぶ慣れて来たせいかスタート前のドキドキ感はあまり無く落ち着いていた。好記録を期待していなかったせいだろうか、気合が入らない精神状態でいた。そんなややサメタ精神状態でスタートの号砲が鳴ったのだ。
スタートは「高崎山・うみたまご」。ここから別府方面へ向かい9km 地点で折り返し、同じコースを戻ってくる。折り返しまでの9km は全般に下りだ。スタート直後の疲れの無い脚なので、自然とペースは速くなった。周囲の選手達に接触しないように注意しながらもフォームを崩さないように気を付けた。疲れが無いからと言って不用意に駆け下りるとダメージを溜めこんでしまうので注意した。
1km 毎の距離表示で時計をチェックした。キロ3分台、予定通りのペースで走っていたし呼吸の上がり方も練習通り、順調な走り出しだった。
別府駅周辺は沿道の応援が特に多かった。有り難い。そして5km 地点を通過。
(5km:19'27"//3'53"/km-pace)
風を時折強く感じるようになり、自然と集団は細長い列を作っていた。集団から離れて横に出ると風の影響を受けてしまうからだ。
ワタクシは集団で走るのが苦手なのだが、ここはそうは言っていられなかった。人の後ろにいた方が遥かに楽だったのだ。
‥後で録画したテレビ放送を観たら、風の影響は大したこと無いように解説していたが、実際に走っていた選手達はそうは思っていなかっただろう‥
6km で最初の給水を摂った。乾燥していて風があるので口が乾いた。
集団の中で走っていたので、マイペースでは走れず微妙に走り難さを感じながらも集団に合わせて走ったが、まだこの時点での集団は固定されていなかった。自分のペースに合った選手同士が集まってきたのだが、少しずつ先へ行く選手もいれば遅れる選手もいた。なので微妙にスピードをアップダウンさせ、顔ぶれを変えながらの集団走行になっていた。
風は吹きっ放しではなく、時折やんでは吹きつけた。ビル風や橋の部分が有ったりしたので一定していなかった。なので、集団からは離れずに走り続けた。普段しない集団走行にも徐々に慣れてくると、折り返し地点に来た。180°のUターン。
「おやっ!?」
Uターンしても風を感じたのだ!微妙に向きを変える横風が海側から吹いていたので、折り返しても影響は変わらなかったのだ!相変わらず間欠的に強弱する風を受けながら集団走行を続ることになった。
(10km:19'31"//3'54"/km-pace)
予定通りにタイムの貯金が出来ていたし、体力の借金も無さそうだった。ここから徐々に最後まで走り続けられるペース(4'04"/km)へと落として行くのが当初の戦略だったが、ここで集団を離脱してペースダウンするよりも、このままのペースで「風除け」の恩恵を受け続けた方が得策だと考えて集団走行を続けることにした。
折り返したので、今度はコースが上りになった。当然、ペースは遅くなるハズだが、集団のペースは変わらなかった。いや、ワタクシがペースを変えない選手を選んでは後につき、また選んではつくと「風除け」を変えながら速い選手についていたのだ。遅く走ればそこにはそのペースの集団があったのだろうが、余裕が有ったので4分/km を切るペースで走ろうと決めた。
心配していた故障もほとんど気にならなかった(正確には走りに影響しない程度の違和感のみと言うべきか?)。体力的にも大丈夫そうだと確認して走っていた。
(15km:19'20"//3'52"/km-pace)
15km を過ぎてからスタート地点に戻るまでは上りがキツくなったが、それでもペースは落とさなかった。思った以上に体調が良かったのだ!そして、オーバーペースも頭に入れながらも少し速過ぎるペースを続けたのは、このレースにあまり期待していなかったせいでもあった。つまり、失敗レースになっても構わないと言う思いもあったのだ。
再びスタート地点へ戻り、18km 地点を通過して大分方面へ向かった。予定よりも速いペースだったが、脚は回っていたしダメージも感じていなかった。ただ、呼吸が激し過ぎると自覚していた。つまり体が酸素を要求していたのだ!
‥有酸素域ギリギリか?っと言うことは、乳酸の蓄積が‥
分かり切ったことである。まだ半分も走っていないのに、この運動強度を最後まで続けられるハズは無かったが、あえて続けた。
理由は、脚にダメージを感じ始めてから(早めに前兆に気付けばイイのだ!)徐々に落とせば、それまでの貯金でカバー出来るだろうと考えたからだ。「風除け」の恩恵を最大限に利用することにしたのだ。しかし、これが後半大失速の失敗レースになる危険性が高いことも充分理解していたのだが、何故か失敗しない自信が有ったのだ。
片側3車線の広いコース。左側には別府湾!極めて痛快であった。気持ち良くキツさを感じて走っていた。時折、日陰に入ったが寒くは無く、日向は暑いぐらいだった。
ワタクシは体が冷えるのが嫌いなので、ランニングシャツは着ない。半袖のTシャツにアームウォーマーに手袋、それにネックウォーマーも!下はランニングパンツにゲーターと一体型のロングソックスだった。
‥少々暑く感じた時もあったが、そのくらいの方が体が動くようだ‥
19km 手前の給水で手袋の中に忍ばせておいたサプリメントも摂った。
(20km:19'34"//3'54"/km-pace)
さて、相変わらず強弱のある風が吹き続けていた。そして相変わらず、顔ぶれを変えながらの集団走行を続けていた。気を付けていたのはフォームと体調の変化、すると20km を過ぎた辺りで徐々に右フクラハギ(肉離れの古傷)の引ツルような痛みが強まって来たが、これはいつもの通りの痛みなので気にしなかった。逆に左のアキレス腱が何とも無かったのが嬉しかった。コンディショニングは成功していたのだ!
そして、中間点(1:22'15")を過ぎても、脚は順調に回り続けていた。
コースは海岸を離れて大分市内へと向かっていた。
(25km:19'46"//3'57"/km-pace)
このコースの最大のポイント、弁天大橋に差し掛かった。アップダウンだ。上り始めると遅れる選手が出てきた。ワタクシは上りに強いようで、集団から抜き出る選手について行けた。橋での横風は大したことは無かった。渡り終わると今度は下り。ここは慎重にダメージが最小限になるようにややペースダウンした。集団から離れてしまったが、すぐに別の集団が出来ていた。風はやはり吹いていた。
ボチボチ、脚に疲れを感じ始めていた。どこからこのペースを落とし始めるかを考えながらも、キツさを感じて前の選手についていた。
残りの距離と脚のダメージとを天秤にかけて考えた。
「まだ、行ける!」
呼吸はかなり荒くなり、声を出していた。
「ラストは失速するが、止まらなければイイ!」
っと考えるようになっていた。
目標タイムは2時間52分だったが、2時間50分切りが見えていた。このペースをなるべく先まで続ければ、失速して走る距離は短くて済むし、自分がこのペースをどこまで続けられるかも知りたくなった。
気が付くと、集団の顔ぶれが入れ替わらなくなって来た。周囲は似た者同士ということか?いや違う。余裕のある選手とワタクシのように呼吸に声が混ざるアップアップの走りとでは、天と地ほどの差があるハズだった。
ポロポロと脱落者も出て来たが、無理して前の選手に食らいついた。
フクラハギが痛かったが、ブチ切れそうには無かったので続けた。給水では脚に水を掛けた。
「まだ行ける!」
応援して頂いた人達の言葉やfacebook のコメントを思い出す。
「まだ行ける!!」
「勇気」と「向上心」を手の中に握って走る。
(30km:19'47"//3'57"/km-pace)
ここまで来たら、35km 地点までこのペースを続けてみようと挑戦したくなった。潰れそうならばそこでペースダウンすればイイ。
フォームに気を付けた。無駄の無いフォームを強く意識するが、脚の回転が遅くなっていた。35km まででイイからこのペースをキープしようと頑張ったが‥34km で切り替わっていた。
(35km:20'12"//4'02"/km-pace)
さっきとは逆方向へ、再び弁天大橋を渡ったがスピードはかなり遅くなった。いよいよ脚に来ていた。残りの距離を潰れないように走ることに目標を切り替えた。自然とペースダウンしていたが、ズルズルとは落とさない。一度落としてしまうと上げられなくなるのは何度も経験していたので、落とし過ぎないように頑張った。しかも最後まで続けられるぺースで‥
集団からは離れてしまったが、風の影響は少なくなった。コースが海から離れて建物の間になったせいだろうか?
さて、体力の借金はどれだけ貯まっていたのだろう?
次々と追い越される中、歩いている選手も目立ち始めた。ゴールが近づくにつれ少しづつ無理をし、脚は回らなかったが全身に無理を加えて行った。
(40km:21'26"//4'17"/km-pace)
かなりのペースダウンだったがタイムの貯金はそれよりも大きいと考えていた。そして残り2km!いつもならばここから必死にスパートするのだが、脚が回らなかった。しかし、キツさを最大に増やして行った。精一杯の努力はしていたつもりだった。その証拠に呼吸に混じった声はかなり大声に変わっていた。
そして、ようやく競技場へ入った。ここで大勢追い抜くのがいつものパターンだが、スピードを上げられなかった。しかし、追い抜かれもしなかった。数人だけだが追い抜き、最後の50m は多少スピードアップ出来ていたと思う。
精一杯のフィニッシュ!
(fin:9'20"//4'15"/km-pace//total-2:48'23")
‥思い通りの準備が出来なかったのに、セカンドベストが出てしまった!?確かに、レースでは頑張ったが、レース前の練習量が充分ではなかったせいだろうか?感動は今一つだった‥
フィニッシュ後は、回れ右して一礼。
これだけは忘れない。
思いがけず出してしまった好記録(?)に戸惑いながら、フィニッシャータオルを掛けて頂き、荒い呼吸が治まるまでしばらくうずくまってしまった。
‥例年ならば、4月に「宮古島トライアスロン」に出場するのだが、今年は落選してしまった。ワタクシは5月に50歳になるので、恐らくこれが40代最後のレースになるだろう‥
今回のレースで、
「50歳で自己ベスト更新」
と言う夢が、夢では無くて現実的な目標へと変えることが出来た。
そう言った意味でも、来シーズンにつながる意義のあるレースになった。
最後に、今回も大勢の大会関係者の皆様のお世話になりました。沿道で応援して頂いた方々にレース中にお応えすることが出来ませんでしたが、心から感謝しています。
本当に有り難うございました。
スナップ >
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Shin (水曜日, 04 2月 2015 11:46)
諦めなければ、可能性はある。
始めなければ、何も起こらない。
だね。
krt-jog (水曜日, 04 2月 2015 23:30)
Shin さん、
だね‥
「お互い」頑張りましょうネ!
ケケケッ((^_^メ))