右足首を痛めて、3週間になろうとしていますが、ようやくゆっくりと走れるようになりました。そこで日曜日に、予定していた赤穂浪士が討ち入り後に、吉良邸から泉岳寺へ向かった道筋をマラニックしました。
吉良邸から泉岳寺は12km程度。それに、自宅から吉良邸跡までの1km半程と泉岳寺から自宅へ帰る距離も合わせて約25kmのコースでした。
両国の吉良邸跡には、今でもその建物の一角が残されています。
討ち入りは旧暦の12月14日、西暦だと1月30日、時刻は午前4時頃に行われたそうです。
仇討ちは約2時間で終わり引き上げて、すぐ近くの回向院で休もうとしたけれど入れてもらえず、両国橋も渡らせてもらえなかっということです。隅田川沿いに下って永代橋を渡るのですが、その前に茶屋(味噌屋)で小休止させてもらったとか。
庶民は赤穂浪士に同情的だったようです。
永代橋を渡ると、鉄砲洲(現明石町)の浅野家上屋敷へ立ち寄り、そこからも人目を避けて裏道を使いながら泉岳寺へと向ったようです。泉岳寺には午前8時頃に到着したそうです。
ワタクシは、歴史に疎いので赤穂浪士の討ち入りについても詳しく知りませんでしたが、今回、機会があってマラニックを行ない、多少は討ち入りについて勉強することが出来ました。
しかし、仇討ちという命懸けの大仕事の後に武装した恰好(火事装束に似せた黒装束でまとめ、頭巾に兜、黒小袖の下は鎖帷子を着込んだ完全武装。羽織などの着用もばらばらだったといわれている。)で、街頭も無く舗装もされていない道を走るとは‥
今回は、走ることを通じて歴史も勉強できたのでためになりました。
でも‥あまりにも物を知らないので情けないですネ‥
まぁ、その分体を鍛えているからイイのかな?
(^_^;)ハハッ!
では、さらばじゃ!"∖(^_^*)
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