今年の“佐渡”はハードなレースだった。
海は15cm程の高さで三角に尖った波が立っていた。大したことはないと思われそうだが、泳ぎながらヘッドアップしても前方確認が困難になる高さの波だ。つまり真っ直ぐに泳ぎ難くなる。そして右から左への潮流と引き潮は例年以上に速く、流れに逆らって泳ぐことが多く体力を奪われた。もちろんバトル、そしてクラゲ‥最初のスイムから佐渡の自然は行く手に大きく立ちはだかっていた。
佐渡Aタイプのバイクコースは長い登り坂が多い。前半の通称「Z坂」と大野亀でそれぞれ100m程登り、後半の小木から村山へ向かう坂はひたすらに140m登り続け、一気に降ると再び95m登る‥全長190kmのコースはタフなことで知られている。“佐渡大会”の名物でもある。
そして暑さと日差し。12時の気温は33.6℃と発表されたが、最高気温は更に上がっていたハズだ。日の当たるランのコース上は軽く40℃を超えていただろう。
トライアスロンは自然との闘いでもあるのだ。
昨年2015年の同大会の完走率は84.7%だったが、今年は62.7%。いかに過酷だったかが分かるだろう。
ついでにワタクシの記録も、昨年2015年と今回2016年とを比べてみた。
2015 2016
総合記録 11:50:05(84位) 14:10:59(285位)
スイム 1:16:49(172位) 1:25:44(258位)
バイク 6:51:25(210位) 7:33:12(426位)
ラ ン 3:41:51(28位) 5:12:03(280位)
年代別 9位 37位
(((*:;;;:*)))
ご覧のあり様である。
不甲斐ない結果の原因は暑さだけではない。練習量が足りなかったことを正直に認めなくてはならない‥
さてと、ではどんなレースを繰り広げたのか?14時間10分のアドベンチャーを振り返るとしよう。
( ̄○ ̄*) ・゜
スイムは積極的に出ようと考え、前方からスタートした。三角形に右回りで2周するコースで、1つ目(800m地点)のブイを集団の外側から目指した。イイ位置取りだった。マイペースで進んでいたが、カヌーやボートに乗ったライフセーバーの方々が内側へ寄るようにコースを狭めてきた。ブイを曲がる時に大回りしたくないので徐々に内側へ寄るつもりでいたが、まだ200mを過ぎた辺りだった。仕方なく混み合う内側へ寄って行くと、バトルが始まった。蛇行する選手も少なくないので真っ直ぐに泳いでいてもトバッチリを受ける。前方をふさがれ徐々にスピードダウンすると集団形成の一員になっていた。バトルは一層激しくなり背中に乗られたり、腕や頭を押さえられた。これを呼吸のタイミングでやられると息を継げなくなる。腕が当たるのは仕方が無いが足を引っ張る悪質な行為も無いわけでは無い。こうした状況では泳ぎのリズムは度々崩され、前の選手に頭や顎を蹴られないようにスピードのコントロールも‥
セカンドウィンドに入る前の体感的に一番苦しい時でもあるので、レース中で一番呼吸が激しくなる。そんな状態で、400mを過ぎた所で呼吸のタイミングで立て続けに頭を押さえつけられた。たまらず平泳ぎで水面から顔を出したが、これが悪かったのだろうか?急に呼吸が苦しくなり、チョットしたパニック状態に‥気合が足りなかったのだろうか?‥泳ぎ続けられなくなり、20m程そのまま平泳ぎで呼吸を整えた。胸郭がウエットスーツで圧迫され窮屈に感じたのでフロントマジックテープ(写真)を開いた。
オーバーペースとは感じていないのに、この呼吸の上がり方は普通じゃなかった。精神的な要因と、ウエットスーツの圧迫も関与していたのだと想像できる(年に1~2回しか使わないウェットスーツだが、劣化が早く伸縮が悪くなる)。
気を落ち着かせて再びクロールでリスタート。大回りしてもイイので外へ外へと移動し集団から離れた。距離的に長く泳がされたが、800m地点のブイを曲がるとマイペースで泳いでいた。
ここから2つ目のブイまでの距離は150mと短いのだが、潮の流れに逆行するのでなかなか進まなかった。
ここまで来れば周囲は同レベルの選手ばかりになるので、集団になった方が得策である(水の抵抗が減るので楽に進める)。2つ目のブイは内側を通って曲がり、浜へ向かう900mは一番内側のコースロープ沿いを泳いだ。ロープに沿って泳げば前方確認の必要も無いので泳ぎに集中できるのだが、これが失敗だった。右から左への潮流で、選手が内側へどんどん流されていた。コースロープ付近は大混雑!平泳ぎで周りを見ると(波が立っていたのでクロールのヘッドアップでは周囲が良く確認できなかった)コースロープから7mばかり離れれば空いていたのに、ロープ寄りはマグロの群れのようであまりにも混み過ぎていた。
しばらくは内側へ押しやられてコースロープに腕を絡めたり肩を擦りつけたりしながら泳いだが、予想以上に混み合っていた(他の選手と腕がぶつかったり頭を叩かれた)ので集団から離れて外側へ逃げたのだが、浜に近づくにつれて引き潮が速まりここでも前へ進まない!?また、ヘッドアップしても目の高さに波が立ち前方確認がし難かったので随分と蛇行してしまった(浜に近づくとクラゲの攻撃を受けた)。
コンナ感じで1周目を終えて一旦浜に上がった。時計を見ると38分。長く泳がされた割にはマズマズのタイムだった。2周目に入るが、膝上位の水深をザブザブと歩きイルカ飛びを繰り返して泳ぎ始めるまで数十メートル。サラリと腕にまとわりつくチクチク感(クラゲ)にカチンとしながらマイペースで泳ぎ始めた。2周目の入りではバトルは無かった。1つ目のブイを曲がると潮に逆らい2つ目のブイを曲がると波に戸惑い、右オープンの呼吸だと朝日が眩しかったので左オープンに切り替えたりしながら‥浜に近づくと引き潮に立ち向かった。
コンナに長く感じた3.8kmは初めてだった。立ち上がって時計を見ると1時間24分を過ぎている!?
(((*:;;;:*)))
ここで気持ちが萎えてしまった(過去最悪のタイムにショック)。トランジッションエリアに向かいながらウェットスーツの上半身を脱ぎ、自分のバイクの前で腰を下ろしてウェットスーツの下半身を脱ぐ。バイクの準備を一つ一つ確認しながら行うのだが、全く急いでいなかった。足の裏を丁寧に拭いてバイクシューズを履き、ヘルメットのストラップを留めてサングラス‥トランジットでこんなにもゆっくりしたことは無かっただろう‥カツカツとバイクシューズで乗車ラインへ向かった。バイクシューズをペダルに留めて裸足で乗車ラインまで走った方が速いのだが、今回はそうしなかった(レース前から意気込みが高くなかったのだ)。
バイクは練習量が結果に直結した。これまた過去最悪のタイムであった。ただ、暑かったのと逆風の場所があったことも事実ではあるが、バイク順位も過去最悪だった。
バイクに跨ると予定通りに補給。コースの左端に寄りユルユル(27km/h前後)走りながらカロリーメイト(ブロック)を4本摂った。当初から前半は無理をしない予定でいたのと逆風だったせいもあり、思うようにスピードが上がらなかった。ドラフティングをしながら追い抜いて行く選手の後姿を見ながら馬鹿にしていたが、そんな選手を気にしてしまう自分の小ささにも腹が立っていた。ワタクシはドラフティングをしない。独力で完走するのがトライアスロンであるから、本物のトライアスロンをしたいのだ。特にこの“佐渡大会”には、正々堂々と挑みたかった。ワタクシのトライアスロン人生の原点と言っても過言では無い大会なのだから。
‥“佐渡大会”の1991年、第3回大会に出場したのが、ワタクシのロングディスタンスのトライアスロンのデビュー戦だった。その頃と比べると佐渡の道路は広く直線的になりアップダウンもカーブも少なくなった。路面も滑らかになりバイクコースは随分と走り易く快適になったが、ハードなコースであることには変わりない。走りながら、昔の風景を思い出し、最高に晴れた青空と紺碧の海を眺めながらレースしていた‥
( ̄◇ ̄°*) ・゜
「Z坂」で2回ターンし登り切る手前で、いつものオバちゃんが今年もまた声援して下さっていた。
いつも通りに、
「オバちゃん!いつも有難う!また後でネ!」
っと言って、ハイタッチした。
名物オバちゃんは、バイクの「Z坂」とランの田んぼの中で声援を送って下さる。本当に声を出し続けて全選手を応援して下さるのだ。
感謝しか無い。
m(__)m
「Z坂」と大野亀、ロケーションは最高だった。大いに佐渡の景観を満喫していた。大野亀を過ぎると小さなアップダウンとカーブが続く。ペース配分が難しい。練習量に自信が無かったので無理のないペースで無難に乗り切った。90kmを過ぎると平地が続くので、ここからは本腰を入れて走る様にした。33~36km/h は維持し両津へ向かい、両津市内で風を受けなくなると36~38km/h で走り抜けた。小佐渡でも平地は30km/h を切ることは無く進んでいたが、登りはかなりペースダウンしてしまった。力不足であったが、登りで乳酸を溜めてはバイク後半もランにも影響することは承知していたので開き直ってペースを落としていた。
そう言えば、バイクのエイドステーションで止まって補給したのも今回が初めてだった。それぞれのエイドステーションでテーブルの前に止まって地面に足を着き食べ物に手を伸ばす。今まではスタッフが手で差し伸べてくれた物だけを受け取っていたのだが、今回の順位だと周囲の選手達も同じように停車していたので、それに倣ってみたのだ(過去最悪のタイムになる訳だ)。
そして難関に立ち向かう時が来る。小木からの上り坂だ。一番の試練の坂道だ。ひたすらヒタスラ、ただひたすらに登る。以前は沿道に大勢の応援の方々がいて声援を受けていた場所だが、ここ数年はここで応援して下さる方が激減してしまった(ここだけではないが‥)。色んな方々と言葉を交わしていたのに‥思い出をつなぎ留めながらノスタルジックにペダルを踏み続けた。体温が上がっていた。ボトルの水で頭を濡らし口をすすいで口腔内も冷やした(脳幹を冷やすには内側からの方が効果的だ)。
長い登りの後に何度かアップダウンがあったが、脚が回らなくなっているのが分かった。ここで無理をすると本当に潰れてしまうと考え、イージーペースで進んでいた。大きく降ってもう一度大きく登る。そして最後の長い下り坂!一気に降る!おそらくMax-65.7km/h はここで記録されたモノだろう。
ラスト10km を30km/h で走るのが一つの目標だったが、ここでも向かい風が行く手を阻んでいた。佐渡の自然は厳しかった‥
それでも真野市内に入ると海岸沿いとは違って風が収まり、ラストスパートで36~38km/h をキープしながら佐和田の会場まで帰ることが出来た。風が無ければそこそこ走れたようである。
εεε=(;^^)ㇸ
バイクを終えてランへ移る。トランジットに置いておいた経口補水液500ml を一気に飲み干してしまった(予定ではラン2km 位までに飲み終えればイイと考えていたのに!)。時刻は3時になろうとしていた‥予定よりも40分以上遅れていた‥
ランをスタートしてすぐにトイレへ入った(このレースでトイレに寄ったのはこの1回のみ!発汗量の多さが分かる)。
ここからがワタクシの本領発揮!っと思っていた。過酷な暑さだが、4時間前後で走りたいと考えていたのだが‥全く甘かった‥
走り出しはイイ感じだった。左アキレス腱も気になるような痛みは無かった。日差しのキツサは恐ろしささえ感じた。とにかく水を被り全身をズブ濡れにして、シューズからグチョ!グチョ!っと音を鳴らしながら走った(こうなることは計算ずくで、トランジッションで足にワセリンをしっかりと塗り込んでいた)。カーブでコースの向きが変わると後頭部用のサンバイザーの向きを変えて直射日光が顔に当たらないようにした。
用意周到だった。我ながら経験がモノを言うと誇らしげになっていた。
5.5kmのエイドステーションを過ぎ、約束の場所へ向かった。
「田んぼの中でまってるぞ~!」
の場所である。
また、オバちゃんの声が聞こえてくる!
手を振りながら近づいて、言葉を交わすと、
「ちゃんと完走してよ!」
っと叫んでくださった(この言葉は後になって何度も回想することになった)。
ランは10.7kmで折り返し21.1km を2周するコースである(本部での折り返しとフィニッシュ地点で距離を調整して42.2km になる)。
最初の折り返しが随分と遠く感じていた。
「10km ってコンなにあったけぇ?」
折り返しで時計を見ると1時間9分もかかっていた!?トイレにも寄ったけれど‥???‥
暑さの影響は想像を超えていたのだ。
それなりに淡々としたペースで走り続けていたが、給水出来る場所では私設エイドもフル活用して暑さに備えた。‥が、疲労感は酷かった。1周目があと4km は残っていると気づいた時に、このペースでは持たないと感じペースを落とした。するとしばらくしてフラツいたと思ったら、蛇行しているのが分かった。
この時、真面目に身の危険を感じていた。脱水症になりかけたことは何度かあるが、その時とは違っていた。指先がしびれることもなく、目がカスムこともなかった。脱水症ではなく熱中症だろうと考えた。
走るのをやめて歩くことにした。
まだ半分も走っていないのにどうするか?
この時点で、タイムへのこだわりは完全に捨てた。兎に角
「完走すること!」
だけを考えた。
「この状況で確実に完走するには?」
答えは簡単だった。涼しくなるまで無理はしないこと。そして、キツク感じるようなペースでは走らないことである。
歩いているうちに、日陰に入ったので再び走ってみた。その後は日なたでも走ったり歩いたりを繰り返し、大会本部の会場へたどり着いた。1周目終了。あと1周、21.1km だ。
時刻は5時半になろうとしていた。上手く行けばぼちぼちフィニッシュする頃である‥
無理をしなければ完走は出来ると確信していたが、調子に乗るとブッ倒れるかもしれないとも感じていた。体感的に6割の頑張りならば大丈夫だろうと思いながら、時々歩きながらユックリと走り一歩一歩前へ進んだ。
「ちゃんと完走してよ!」
‥オバちゃんの声援を思い出し、レース前に励ましてくださった方々の顔を一人ひとり思い出していた‥
無理は禁物だと言い聞かせ、確実性を重視した。こんな風に考えるようになれたのは何故だろうか?今までのワタクシならば、その時に発揮できる能力は全て出し切るべきだと考えていたが、今回は‥
たぶん、身の危険を感じたからであろう。
健康を害してまで追い詰めるのにも程がある。
体も気持ちも疲れていたが、気楽になっていた。
イイ経験をしていると思いながら、日が暮れたコースを渡された反射タスキを胸にかけて照明器具に照らされたコースを進んだ。
空には星が光だし、痩せっぽちな三日月が浮かんでいた。最後の折り返しのエイドでは時間をかけて補給した。残り10km 少々だが1時間半程かかりそうだった。道路がこんなに暗くなるとは思わなかった。路肩の白線がボンヤリと見える程度で時折通る車に照らされないと、舗装の凹凸は分からなかった。田んぼの中の道では要所要所に照明器具が設けられていたが、虫が集まっていて近づきたくない感じも無きにしも非ず。吸い込まないように気を付けながら通過した。
秋の虫達の大合唱に包まれて、星空の下を走ったのは初体験。北斗七星に向かって走った。佐渡の星は大きく明るく見えていた。
残りも5km を切り、完走は確実になっていた。コースの反対車線をすれ違う選手達が逆方向へ走っている。彼らは制限時間内にフィニッシュ出来るのだろうか?
自己ワーストタイムを大幅に更新していたが、それよりも遅い選手達がいることを忘れないようにしたいと思った。
ラスト3km を過ぎると、もう歩かないことにして走るペースも上げていた。そして商店街が見えてくると更にスパート!最後ぐらいワタクシらしく走りたい。商店街では応援して下さる方が大勢いて拍手と声援を送って頂いた。手を挙げて応えながらも更にスパート!直角に曲がり「アストロロード」も一気に過ぎた。フィニッシュ会場に入る前でスタッフの方が反射タスキを回収されていた。タスキを外し手渡してフィニッシュ会場へ入る。前には選手が見えなかった。最後のコーナーで後ろを振り向いても選手はいなかった。この会場の声援は、ワタクシ一人だけに送られていたのだ!
脱帽して手を挙げて声援に応えながらフィニッシュした。
そして、いつも通り回れ右をして一例。
感謝。
m(_ _)m
順調に完走していたら、ホテルの温泉から出てビールで乾杯して夕食を楽しんでいる頃にナンとか生還した。今回のレースは、ある意味では失敗レースだったが、レースに参加する意義の多様性を改めて認められたのでイイ経験になった。
過酷な条件の中、一緒に佐渡の自然に立ち向かった選手の皆さんに敬意を表し、また感謝致します。そして大会スタッフの皆さんと声援して下さった皆さんには、毎回のことですが心から感謝致します。
有難うございました。
このようなレースを終えたばかりなのに、もう来年のレース展開を妄想しているワタクシもいます。来年は52歳のワタクシ。まだまだ、捨てたモンじゃなさそうです。
(。・・。)
~完~
写真 / 撮影:コスギフォト 2016.09.18.追加
コメントをお書きください
佐渡大好き! (金曜日, 09 9月 2016 13:55)
酷暑のレース、お疲れ様でした。
完走率62.7パーセントのレースを完走されただけで凄いです。
私はBタイプでランの折り返しで制限タイムに間に合いませんでした。ランではほとんど歩いてしまったので、間に合いっこなかったのですが、Aタイプの人たちは凄いです。尊敬します。
私もいつかはAタイプで完走したいと思っています。そして佐渡の景色を楽しみたいです。私はまだ30代ですが、50歳まではトライアスロン続けたいです。
参考になりました。これからも頑張ってください!
栗田 浩三 (土曜日, 10 9月 2016 08:39)
佐渡大好き!さん、
ワタクシも佐渡大好きです!
Bタイプお疲れ様でした。完走できなくても、制限時間まで長時間を粘り続けたのですネ。尊敬します!
トライアスロンは過酷さを追求したスポーツとも言えます。酷暑のレース程トライアスロンらしくなるので、今回の「佐渡トラ」は本当にトライアスロンらしいレースになりました。そんなレースでタイプは違っても一緒に頑張っていた佐渡大好き!さんにコメントを頂けて嬉しいです。有難うございます。これからも一緒に頑張りましょう!
タグ (金曜日, 16 9月 2016 22:33)
参戦記拝見させてもらいました。私も同じ経験をしました。順位も近く274位。読んでて凄く共感しまた。今回は本当に苦しい体験をしましたこんなに辛いものかと危険を感じもしばし。ゴールした時の感動はありましたが、暫くはbike,Ranはいいやと思ってしまいました。また、お互いに頑張りましょう。
栗田 浩三 (土曜日, 17 9月 2016 07:12)
タグさん、
コメント有難うございます!
同じレースを戦った同士からのコメントは嬉しいです。
レースの疲れは取れましたか?ワタクシはまだ回復しきっていませんが、少しづつ動いています。今回のレースを糧に、益々精進したいと思います。
頑張りましょうネ!