2012.6.24. サロマ湖100kmウルトラマラソン参戦記
2012年6月28日 17:06
【レースまで】
2012年上半期は、故障が続いた。慢性の右アキレス腱炎に起因して、2月の別府大分毎日マラソンで右フクラハギを肉離れ。2月~4月はほとんど走っていない。ようやく走れるようになったのが5月上旬だったが、6月になると右仙腸関節の捻挫。
5月に
30km走1回。
35km走1回。
40km走2回。
50km走1回。
を走ったが、右仙腸関節を負傷した為、6月4日のjog以降走るのをやめ回復に専念した。
負傷により右殿部が歩いても強く痛む状態が2週間ほど続き、完治せず走る事もないまま、大会当日を迎える事になった。
100km。尋常な距離ではない。故障を抱えトレーニングも不充分。棄権も考えたが、せっかくだからスタートだけはしようと、途中棄権を覚悟して出かけた。
学生時代に、勉強せずに期末試験を受けた事があったが、そんな時と似た気持ちで憂鬱だった。
【ツアー日程】
6/23(土)
14:00 羽田発{JAL-1113便)
15:40 旭川着
→バスで宿泊地へ
19:15 ホテル着(紋別セントラルホテル)
*到着時刻が遅いため、旅行会社が大会受付を代行。
~大会会場に寄らなかった為、大会オリジナルグッズなどの買い物が出来なかった~
6/24(日)
3:20 ホテル発(バス)
3:50 会場着
→荷物預託など
5:00 スタート
18:00 競技終了
ゴール後、約1時間間隔で宿泊地へのバス発
6/25(月)
11:10 ホテルロビー集合
→バスで旭川空港へ~途中、昼食休憩~
15:00 旭川空港着
16:20 旭川発(JAL-1112便)
18:05羽田着
☆今回申し込んだツアーは、(土)出発~紋別泊~(月)帰りで、飛行機の便は自分では選択出来なかったので、(土)の現地入りが遅くなったのが誤算!
大会オリジナルグッズの買い物が出来なかったのは残念。また、ホテル着が遅かったので、睡眠時間が4時間半取れない位だったので、70km付近で猛烈な睡魔に襲われた。
ホテルの食事や温泉、部屋などは良かった。近所にコンビニエンスストアもあって便利だった。
【レース経過】
天候は霧雨。長袖シャツに雨除けのベスト、ランパン、下腿部のコンプレッションゲーター、手袋、ランニングキャップ、サングラス(目にはかけずに前頭部にかけて)、腰痛ベルト着用で出走。
5km-32'30"/10km-28'57"/15km-30'11"/20km-28'19"
スタートから右殿部に違和感 右アキレス腱が硬い感覚 トイレ3回!
25km-28'22"/30km-29'21"
殿部の違和感とアキレス腱の硬さが和らぐ
35km-31'09"/40km-34'16"
案の定、痛みがぶり返す 両脚に硬を感じ始める 記録は狙えないと実感する
(42.195km-4:16'29")/45km-32'31"/50km-36'27"
目標を完走に絞り、徒歩を交えてペースダウン 霧雨は完全にやむ 暑くも寒くない良いコンディション
55km-51'08(レストステーション立ち寄り:ベストとサングラスが不要なので置いて行った)/60km-47'10"
ほとんど徒歩に切り替える 両下肢全体に痛み←腰痛ベルトは骨盤を固定するため下肢の衝撃が強まるのか?
65km-39'45"/70km-34'03/75km-44'02"
関門の通過時間を考えてペースを上げる
80km-49'27"/85km-50'39"/90km-48'51"/95km-51'30"
関門の制限時間を計算しながら10'/kmペースを保つ
アップダウンがあったので、ラップタイムにバラつきがでた
無理をして脚が動かなくなってしまうのを警戒したのだが、一歩一歩が痛くて走れる状態でなかったのも事実。
100km-50'03"//12:58'52"
最後は平坦だったので、時計を見ながら少々余裕をもって‘歩いた’
12時間59分台でのフィニッシュを考えていたが、不自然にノロノロするのは必死にゴールを目指す周囲の選手に対し失礼なのでやめにした。
【レースを終えて】
今回は、故障の為レース前に走り込む事が出来なかったし、レース当日も痛みを感じながらスタートする事になってしまった。残念だったが、仕方が無い。しかし、レースに出場し何とか完走できたのには満足している。痛くて辛く長いレースを完走できたのは、「根性!」という言葉が頭から離れなかったからだ。星飛雄馬を何度か思い出していた。そして、「勇気」と「向上心」。これは、練習の時に意識している言葉だが、どんな時にも支えになる。
さて、今後の事だが‥
しばらくは、ゆっくりしよう。後は、体と気持ちを相談させてから(‥年齢もかな)考えよう。
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